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鎌倉の至宝 優美なる慶派のほとけ(鎌倉国宝館) [美術展]

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鎌倉の至宝 優美なる慶派のほとけ
2017年4月22日(土)~2017年6月4日(日)
鎌倉国宝館

慶派のほとけというから鎌倉まで足を運んだのですが、期待外れでした。金剛寺(秦野市)と教恩寺(鎌倉市)の阿弥陀三尊像が出品されていましたが、慶派にもピンからキリまであるんですね。企画展示の仏像よりも仏画や書跡の方に見ごたえがありました。仏画では光背のタイコーズブルーが美しい南宋時代の仏画「宝冠釈迦三尊像」(建長寺 重文)が目を引きました。書跡は文字から書いた人の人格が伝わってくるようで、美術鑑賞というより個人的に興味深いです。蘭渓道隆はとても達筆で頭が良さそうな字、反対に北条時宗は悪筆でした。


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大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち(森アーツセンターギャラリー) [美術展]

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大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち
2017年3月18日(土)~6月18日(日)
森アーツセンターギャラリー

大好きなブリューゲルが2点も出品されていて、予想していなかったので嬉しかったです。さらにプレミアムフライデーの企画で写真撮影OKだったので、とっても得した気分。ピーテル・ブリューゲルの息子たちの作品ですが「スケートをする人たちと鳥罠のある冬風景」は「雪中の狩人」(ウィーン美術美術館)に似ていますね。絵葉書もゲットしました。「魚の市場(ペテロとアンデレの召命)」も群像が俯瞰的に描かれていて、いかにもブリューゲルっぽくて好きです。

去年のクラーナハ展には行けずじまいだったから、「林檎の木の下の聖母子」を鑑賞できたのもよかったです。聖母マリアのお顔は無表情で怖いし、髪の毛のチリチリ具合もなんとも病的。どうしたって聖母子というより怪母子って感じがしました。


スケートをする人たちと鳥罠のある冬景色 ピーテル・ブリューゲル(2世)?
ブリューゲル 冬景色.jpg
ブリューゲル 冬景色1.jpg
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魚の市場(ペテロとアンデレの召命) ヤン・ブリューゲル(1世)
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ブリューゲル 魚の市場3.jpg

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雪村-奇想の誕生-(東京藝術大学大学美術館) [美術展]

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雪村-奇想の誕生-
2017年3月28日(火)~5月21日(日)
東京藝術大学大学美術館

雪村についてなんの知識も期待もなかったのが良かったのだと思います。久しぶりに純粋に「絵」をみる楽しみを味わいました。最近、頭でっかちになって、モチーフの意味や形式にばかり目が向いていましたが、雪村の自由な絵に解放されました。なにより、雪村自身が描くことを楽しんでいます。若冲や蕭白の「奇想」は狙っている感じがするけれど、雪村は自然にわきでてくるナチュラルな「奇想」です。

例えば「鍾馗図」といえば、刀をもったイカツイおじさんの絵が一般的なイメージ。先日の河鍋暁斎展でも見ましたが、とっつきにくくて素通りでした。でも、雪村の「鍾馗図」は一味も二味も違っています。鍾馗が虎を退治している場面なのに、猫が飼い主とじゃれて遊んでいるようにしか見えません。純粋にかわいくて癒されます。


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雪村「鍾馗図」


「琴高仙人・群仙図」(重要文化財、京都国立博物館)のような漫画的な絵に目がいきがちですが、「四季山水図屏風」(郡山市立美術館)のような普通の屏風絵も風景の広がりや雄大さが感じられて、ちゃんと力量を持っていることがわかります。

尾形光琳や岡倉天心といった目利きにも高く評価されていたそうですが、あまり注目されてこなかったのは、中央画壇の正統を継ぐ絵師ではなかったからなのかな。でも京都ではなく、東国で自由に描いていたからこそ、こんなにも清々しい気持ちにしてくれるのだと思います。今回は期間外で実物はみていないのですが、「自画像」(大和文華館蔵、重要文化財)の味わい深さったらないです。今回が初対面の雪村でしたが、これからはちゃんと要チェックしていきたいな。


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雪村「自画像」
(大和文華館蔵、重要文化財)


特別展「茶の湯」(東京国立博物館) [美術展]

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特別展「茶の湯」
2017年4月11日(火)〜6月4日(日)
東京国立博物館 平成館

東博の「茶の湯」展。足利将軍の茶湯から始まり、利休の侘茶、益田鈍翁らの近代数寄者まで大百科事典的に網羅されています。いい勉強になりました。大満足です。

でもやっぱり茶の湯にはあまり興味がわきません。お茶道具が本来の目的を果たすことなく、展示ケースの中に鎮座していて、なんだか動物園の動物を見ているよう。

唯一、心を打ったのが千利休の最後の手紙。切腹の2週間前に松井康之(のちに八代城主となる松井家の初代)にあてた短い手紙です。

わざわざの飛脚、過分至極に存じます。
富田知信殿と柘植与一殿を介し、堺に下るようにと、
秀吉様から命じられたので、にわかに昨夜、出立しました。
淀まで細川忠興様と古田織部様が見送りに来られたのを
船着場で見つけ、驚きました。
お二人によろしくお伝えください。
  二月十四日
                     利休宗易
  松井佐渡様


秀吉からの急な出立の命。おそらく切腹を予想していたでしょうし、どんな気持ちでこの手紙を書いたのか…。多くの弟子がいたにも関わらず、見送りに来たのは細川忠興と古田織部の2人だけ。なんか涙がでてきてしまいました。

こうやって茶の湯に命を懸けた人たちがいたからこそ、現代まで名物が伝えられてきたんですね。そう知ると展示ケースの中の茶道具も違って見えてきます。

茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術(東京国立近代美術館) [美術展]

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茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術
2017年3月14日(火)~5月21日(日)
東京国立近代美術館

楽焼の茶碗を作る樂家。安土桃山時代の初代・長次郎から現代の15代までの楽焼が出品されていました。茶道には縁遠く、楽焼=黒い茶碗ぐらいのイメージでしたが、赤い赤楽もあるし、同じ黒い茶碗でも代による個性があることを知りました。まあ、素人には見分けがつかず、どれも同じに見えてしまいましたが…。展示ケースに収まった地味な器にちょっと退屈でした。

ところが、当代の15代樂吉左衛門の作品が並んだ展示室に入って、言葉を失いました。ぶっ飛んでて、もうロックです。伝統に裏打ちされているからこそできる冒険なのかな。なんだか見てはいけないものを見てしまったような気がしないでもない。素人には窺い知れない世界です。

ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展(Bunkamura ザ・ミュージアム) [美術展]

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ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展
2017年4月29日(土・祝)~6月25日(日)
Bunkamura ザ・ミュージアム

しみじみとこころに染み入る写真です。1980年代に商業写真から退き、世間から姿を消した写真家ソール・ライター(1923~2013)の展覧会。ちらしの写真に惹かれて足を運びました。

ニューヨークの風景なのに、騒々しさや喧騒は遠のいて、ひっそりと静まり返っています。雨や雪のお天気、写真に撮るほどでもない町の一コマ、写真の大原則からは外れているのに、深く感じ入ってしまう。写真に写っている「物」ではなく、伝わってくる「気」に反応してしまうのです。

壁に書かれたソール・ライターが残した言葉がまた染みます。

「私は無視されることに自分の人生を費やした。
それで、いつもとても幸福だった。
無視されることは偉大な特権である。」

「人生で大切なことは、何を手に入れるかじゃない。
何を捨てるかということだ。」

「取るに足りない存在でいることには、はかりしれない利点がある。」

もう哲学とか禅みたいです。

開館30周年記念特別展 柿右衛門展(戸栗美術館) [美術展]

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開館30周年記念特別展 柿右衛門展
2017年4月1日(土)~5月14日(日)
戸栗美術館

以前は器には全く興味がなかったのに、鍋島焼を大好きになり、今では柿右衛門の良さを発見しつつあります。その過程で戸栗美術館にはたくさんお世話になりました。戸栗美術館がなかったら、私の陶磁器鑑賞体験はとても貧弱なものにとどまっていたはず。今回の展覧会でも「近現代」の柿右衛門の魅力を知ることができました。

一度は失われてしまった柿右衛門の素地「濁手(にごしで)」の製法が復興されたのは戦後のこと。そして2014年には15代が酒井田柿右衛門氏を襲名しているそうです。その新作が3点出展されていて、これがとても素敵でした。柿右衛門は「濁手」の乳白色は好きだけど、獅子や牡丹の文様が古臭くてどうもいただけません。でも、現代の柿右衛門は「桜」や「紅葉」など植物モチーフでとってもモダン。「濁手 桜文 壺」は60cmもの大きさなのに、繊細で美しくて、威圧感を感じさせません。柿右衛門と鍋島焼のいいところを取り入れて、新しい柿右衛門に変貌しているのが感じられます。またまた戸栗美術館に学ばせてもらいました。


春の優品展 歌仙と歌枕(五島美術館) [美術展]

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春の優品展 歌仙と歌枕
2017年4月1日(土)~5月7日(日)
五島美術館

歌仙絵(歌人の似顔絵)は、やっぱり楽しいな。今、三十六歌仙絵をコレクション中なんですが(関連記事)、ここでは大物の「佐竹本三十六歌仙絵 清原元輔像」と「上畳本三十六歌仙絵 紀貫之像」(いずれも重文)をゲットしました。

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佐竹本三十六歌仙絵 清原元輔像(重要文化財)


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上畳本三十六歌仙絵 紀貫之像(重要文化財)


その他にもいろいろな歌仙絵が勢ぞろい。似顔絵と言っても、ずっと昔の歌人を想像で描いているから、絵師の自由度が高くて遊び心が垣間見られるのが歌仙絵の魅力。髭面の後京極良経が伊勢を指差していたり(時代不同歌合絵 伊勢・後京極良経像)、猿丸太夫が名前の通り猿っぽい顔で描かれていたり(業兼本三十六歌仙絵 猿丸大夫像)、スカートをつまむように束帯の裾をつまんでいる姿だったり(後鳥羽院本三十六歌仙絵 平兼盛像)、振り返る後ろ姿だったり(後鳥羽院本三十六歌仙絵 平仲文像)、とっても親近感がわきます。これでくずし字が読めて、添えられている和歌の意味が分かったら、さらに楽しめるだろうなぁ。

タグ:歌仙絵

開館120周年記念特別展覧会 海北友松(京都国立博物館) [美術展]

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開館120周年記念特別展覧会 海北友松(かいほうゆうしょう)
2017年4月11日(火)~5月21日(日)
京都国立博物館

名前は聞いたことがあっても、代表作も思い浮かばないし、有名な絵師ではないと思います。でも京博のマイナー路線といえば「狩野山楽・山雪展」が忘れられません。2013年だからもう4年前か…。早いなぁ。(そのときの記事

そして、2017年の海北友松。うーん、評判はいいようですが、私はあんまりでした。どうも友松のキャラクターが好きになれません。武士出身というプライドがぷんぷん臭うし、「海北友松夫妻像」に孫の友竹が記した賛文も武士出身だとか春日局と仲がいいとか自慢話ばっかり。なんだかなぁ…。

友松作と知れる作品は狩野派を60歳で飛び出した後、83歳でその生涯を終えるまでの晩年のものがほとんど。狩野永徳が亡くなったのが独立のきっかけのようですが、意地悪な見方をすると、それまで狩野派の名前で繋がっていたお客さんを独立して持っていってしまったようにも見えます。まあ、狩野派の様式では納まりきらないものがあるし、長生きして自由になっていくのも分かりますが、なんとなくいけ好かない。

それに、京博もちょっと調子に乗っていて、解説文が上滑ってました。こっちは全く知らないのに「よくご存じのように友松は…」とかあって、気がそがれます。照明に凝りに凝った雲龍図の展示室もあそこまでしなくても…、狙い過ぎでしょう。まあ、今まで京博では散々な目にあっているので、評価はどうしても辛くなってしまうのでした(関連記事1)(関連記事2)(関連記事3)。


快慶 日本人を魅了した仏のかたち(奈良国立博物館) [美術展]

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快慶 日本人を魅了した仏のかたち
平成29年4月8日(土)~6月4日(日)
奈良国立博物館

今年、一番楽しみにしていた快慶展。心ゆくまで堪能するため、その日はほかの予定は入れず、11時に入館。たっぷり時間をかけて、一体一体と相対していく覚悟です。

展示の筆頭を飾るのは、醍醐寺の「弥勒菩薩坐像」。この弥勒様こそ、私が最初に快慶仏の洗礼を受けた思い出深い仏さま。2014年の「醍醐寺のすべて」展(奈良博)でお目にかかり、雷に打たれたように動けなくなってしまったのです。あまりにも完璧で抜かりなく、苦しくなりながら陶酔してしまう…。とってもあやうい気持ちになる弥勒像。のっけから夢見心地になって、それこそ浄土にいるような気持で鑑賞開始です。

第1章は「後白河院との出会い」。若い頃の作品が並んでいました。後年になると「型」がきちっと固まってしまう快慶だから、のびやかな初期の作品はとても興味深い。「きちんと感」はありつつも、東大寺法華堂秘仏と同じ姿勢の「執金剛神立像」や象の膝当てがかわいい「深沙大将立像」(いずれも金剛院)など、動きのある仏像にもチャレンジしています。松尾寺や金剛院など「丹後」(舞鶴市)のお寺の所蔵が多いのは、鳥羽院と美福門院の間の皇女 八条院の院宮分国があったためなんですって。

白眉は清水寺の「千手観音坐像」。千手観音ってどうしたってバランスが難しいものだけれど、破綻のない絶妙に整った造形。普通の千手観音と違って、正面・右・左に3つ、頭上に24、計27面ものお顔をもっているので、手の数にお顔が負けていないのです。作者を快慶と同定するには至っていないそうですが、快慶以外にここまで完璧で美しい千手観音坐像を生み出せる仏師はいないと思います。

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清水寺「千手観音坐像」


第2章は「飛躍の舞台へ」。重源上人とともに成した東大寺復興にかかわる仏像が並んでいました。東大寺での修二会(お水取り)でも、快慶は過去帳で名前を読み上げられるし、功績があったことが伺い知れます(運慶の名前はない)。重源上人と快慶の関係には、僧侶と仏師を超えた絆があったのでしょうね。その重源上人が大仏再興事業の拠点として設けた兵庫・浄土寺の裸形の「阿弥陀如来立像」もあやうい気持ちになるお像。2.5mを超える大きさに圧倒されるし、練り供養用の仏像だから出動する気満々なのが伝わってきて、夢見心地になってしまうのです。

東大寺の秘仏「僧形八幡神坐像」に至っては、あまりに生々しくて、出品自体は有難いことだと思いながら、「見てはいけないものを見てしまった…」という罪悪感、背徳感が湧いてきてしまいました。これはちゃんと東大寺の勧進所で拝さないといけない。ちなみに10月5日、年1回だけの開扉だからハードル高いです。


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阿弥陀如来立像(快慶作)

後半はいわゆる「安阿弥様」(あんなみよう)といわれる像高三尺(約1m)程度、端正なお顔の阿弥陀如来立像がいくつも並んでいます。間違い探しかと思うほど、同じような阿弥陀様。なんだか「もういい加減にしてもいいんじゃない…」と諦め気味に文句のひとつも言いたくなります。この妥協を一切許さない姿勢、一緒に仕事はできないなぁ。快慶の弟子は偉い!よくこの完璧主義で融通の利かない師についていけたものです。その弟子の長快作の「十一面観音立像」(パラミタミュージアム)のおっとりしたお顔にひどく「ほっ」としました。

一度には咀嚼しきれない数と質の「快慶仏」が並んでいて、最後はちょっと頭が変になってしまったような気分。完全にオーバーヒートです。ちゃんと一体づつ、戸別訪問しないといけないですね。最後、写真掲載の和歌山光臺院の阿弥陀三尊像が素晴らしく、是非、いつかお会いしたいです。

タグ:仏像 快慶