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豊橋日帰り旅行「普門寺と国境のほとけ」展(豊橋市美術博物館) [美術展]

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2017年1月21日(土)~2月26日(日)
豊橋市美術博物館

日帰りの豊橋旅行。地方仏との一期一会の出会いを求めて、縁もゆかりもない豊橋へ。豊橋市美術博物館で開催されている「普門寺と国境のほとけ」展に行きました。普門寺のご本尊聖観世音菩薩や重要文化財に指定されている釈迦如来坐像がいらっしゃっています。でも展示は仏像メインではなく、普門寺周辺の発掘調査の成果に重きが置かれていました。普門寺の創始とその場所の特徴、地域との関わりの変化などが丁寧にたどられ、仏像はそのひとつのパーツにすぎません。仏像だけからでは見えてこない信仰の形がよく理解できました。

仏像はお寺で拝するのが本来かもしれませんが、特に地方仏は仏像そのものの完成度はどうしても劣ります。だけどそのお寺の由緒や地域の歴史を詳しく知ることで仏像とのご縁も深まるというもの。地域の博物館がその架け橋になれるんだなぁと思いました。次は実際に普門寺を訪ねてみたいです。


初めての文楽鑑賞「平家女護島」(国立劇場) [古典芸能]

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2017年2月4日(土)~2017年2月20日(月)
国立劇場 2月文楽公演
近松門左衛門=作
平家女護島
 六波羅の段
 鬼界が島の段
 舟路の道行より敷名の浦の段

2017年のやりたいことリストのひとつが古典芸能鑑賞。ちょうど国立劇場では開場50周年記念文楽公演「近松名作集」が上演されていました。近松といえば曽根崎心中しか思い浮かばない初心者ですが、江戸の世話物は共感できなさそうで気が進まず、平家物語の俊寛に題をとったという『平家女護島』(へいけにょごのしま)にしてみました。若い頃からなぜか平家物語は好きなのです。

平家物語のオリジナルでは、平家滅亡を企てて流罪となった3人のうち俊寛だけ恩赦が受けられず、島に取り残され、絶望の中、船を見送るという筋立て。ですが、文楽『平家女護島』では近松のアレンジがかなり入っていて、男女の恋愛も絡んだ人情ドラマでした。これじゃあ共感ポイントがまったく違ってきます。好きずきでしょうが、私はオリジナルの方が泣けるような気がするなぁ。

人形遣いとか太夫の良し悪しとかはまだ分からないし、どうしてもストーリーに目が向いてしまいます。1作だけで判断するのもなんですが、どうやら近松門左衛門の世界には同調できなさそう。次はお能の「俊寛」や歌舞伎の「平家女護島」を見比べてみたいです。


円山応挙の雪景(東京国立博物館) [美術展]

この冬、東京では雪が積もりませんでした。
雪景色、見たかったなぁ。
代わりに円山応挙の雪景でがまんです。
東博の常設展で3点も展示されていました。


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雪景山水図(旧 帰雲院障壁画)


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雪中老松図


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雪景山水図(旧 帰雲院障壁画)


やっぱり応挙の雪はいいなぁ。




再会-興福寺の梵天・帝釈天(根津美術館) [美術展]

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2017年1月7日(土)~3月13日(月)
根津美術館

かつて興福寺東金堂に安置され、明治の廃仏毀釈で離ればなれになってしまった梵天と帝釈天。梵天立像は興福寺にとどまり、帝釈天立像は益田鈍翁に渡った後、今は根津美術館の所蔵になっています。今回、梵天様が奈良から東京にいらっしゃり、112年ぶりの再会となりました。

この2体は13世紀初めに慶派仏師 定慶によって造像されたことが銘記から知られます。同時代の運慶や快慶ほど有名ではないけれど、興福寺東金堂の維摩居士坐像(国宝)も定慶作。ただ、武士に好まれるような力強さはなく、古風でふてぶてしい作風です。梵天と帝釈天も理想的な美男子というより、どこにでもいそうなちょっと小生意気でやんちゃな学生さんみたいでした。そしてどちらかというと梵天よりは帝釈天の方がかっこいい。もし、益田鈍翁が2体のうちどちらかを選んでいいというシチュエーションだったとしたら、帝釈天を選んだのもわかるな~、と勝手な想像をめぐらせました。

タグ:仏像

染付誕生400年(根津美術館) [美術展]

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2017年1月7日(土)〜2月19日(日)
根津美術館

器に興味がなかった私も「鍋島」の素晴らしさを知って、少しずつ興味を持ち始めました(関連記事)。ただ、やはり日常使いの器が仰々しくライトに照らされ、展示ケースに収まっているのをみると、違和感を覚えてしまいます。特に根津美術館の展示室はクラシックで雰囲気がとてもいい。「鍋島」みたいに手間暇かけて作られたものならともかく、大量に作られた器類はその雰囲気に飲まれてしまいます。ずらりと並んだ染付を鑑賞しつつ、できれば実際に使われてほしいな…と思ってしまいました。

春日大社 千年の至宝(東京国立博物館) [美術展]

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2017年1月17日(火)~3月12日(日)
東京国立博物館 平成館

お寺には仏像や仏画など「目に見える至宝」がありますが、神様は姿をなかなか現してくれません。神社は何かを鑑賞するというより、その気配を感じに行く場所。寺院の展覧会は頻繁にあるけれど、神社の展覧会があまりないのは神様が目に見えないものだから。なので春日大社展が開催されると知ったとき、正直どんな「至宝」が並ぶのか想像がつきませんでした。けれども姿を見せないからこそ、型にはまらない多様な至宝があることがわかりました。

「春日曼荼羅」ひとつとっても神鹿にのる武甕槌命を描くものもあれば、興福寺から春日大社への参道や御蓋山、春日山を俯瞰的に描く社寺曼荼羅などさまざまなバリエーションがあります。神々に奉納された古神宝や武具、舞楽で使われた舞楽面や装束は紛れもない至宝です。そして「目に見える至宝」の背後には、曼荼羅を礼拝してきた人々や、神宝を奉納してきた人々の「思い」がありました。春日の神々が人々に敬愛され続けてきた証拠の品々です。

展示のつどつどに差し込まれる「春日権現験記絵」に描かれる霊験がまたすごくて、ただものではない神様なのだと思い知らされます。この絵巻、霊験譚を描きつつ、その背景に描かれる春日大社の境内や周辺の風景にも手ぬかりがありません。鮮やかな色彩でキッチュなかわいらしさがあって、春日のワンダーランドを余すところなく描き出しています。特に巻十九の御蓋山や春日山が雪で覆われた風景がすごく好きでした。


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「春日権現験記絵(春日本)巻十九」


一番のお気に入りは「金地螺鈿毛抜形太刀(きんじらでんけぬきがたたち)」(国宝、12世紀)。雀を追う竹林の猫が螺鈿で表現されています。NHKで復元を試みる特番をみて、昔の技術の高さ(まさに神業)に嘆息しましたが、そんな技より何より猫と雀のかわいらしさったら!猫の美術品の白眉です。雀を追いかけて捕まえる場面のあと、満足げに足取り軽くルンルンと歩く姿がなんともいえません。猫好きで知られる藤原頼長が奉納したものと考えられているそう。そりゃあ依頼主は猫好きで間違いないでしょう。


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「金地螺鈿毛抜形太刀」(国宝)


タグ:国宝

興福寺の寺宝と畠中光享展(日本橋高島屋) [美術展]

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2017年1月11日(水)~1月23日(月)
日本橋髙島屋

畠中光享氏の名前も作品も知らずに足を運びましたが、その作品世界に心地よく浸りました。大画面に鮮やかな原色で描かれた仏典の物語。そこに描かれているのは、悩み苦しんでいる「人間」釈尊です。いつも見ている仏画とは違って、たやすく感情移入できてしまい、なんともいえない気持ちになりました。

「仏陀とその弟子」(大谷大学)には前を行く仏陀とその後を静かについていく阿難が描かれています。画面下には向こうの町が小さく遠く描かれていて、二人の歩いてきた長い道のりを感じさせます。まさに同行二人。阿難にとっては肉体的には苦しくてもこの上もなく幸せな時間だったでしょう。阿難の気持ちが手に取るように感じられます。

「犀の角のようにただ独り歩め」というタイトルの絵もありました。その比喩が唐突すぎて忘れがたい一節は、仏陀の言葉だそう。この言葉とともに見るからこそ、仏陀の孤独に共鳴させられる1枚です。

最後の部屋には興福寺中金堂を飾る予定の法相の祖師像が壁一面に並んでいました。仏教に対する畠中氏の深い理解が感じられ、お堂の中でなくても、敬虔な気持ちになります。畠中光享氏の絵画と出会えたのも法相祖師のお導きですね。


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日本画の教科書 京都編-栖鳳、松園から竹喬、平八郎へ-(山種美術館) [美術展]

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2016年12月10日(土)〜2017年2月5日(日)
山種美術館

会場入口で出迎えてくれたエメラルドグリーンの瞳の猫にメロメロ。京都画壇の大家 竹内栖鳳の描いた「班猫(はんびょう)」(重要文化財)です。毛づくろいの最中にこちらに気が付き、“なに?”と振り向いた一瞬を切り取った1枚。猫と一緒に暮らしていないと描けません。猫好き「あるある」をくすぐられます。絵のモデルとなった猫の白黒写真もあって、これがまたぶーたれていて、かわいくないのがかわいい。沼津で見つけてわざわざ京都に連れ帰ったそうです。ちゃんと鼻の右下の斑紋も絵と同じようにありました。

「写生さえ充分にしてあれば、いるものといらぬものとの見分けがつくので、安心して不要な無駄を棄てることができる。」

作品解説の竹内栖鳳の言葉に深くうなずきました。


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竹内栖鳳「班猫」(重要文化財)


上村松園の一筆一筆ないがしろにしない張り詰めた絵(ぞっとします)の向かいには、脱力系の福田平八郎の「筍」や「芥子花」(ほっとします)。その平八郎にしても、初期作品「牡丹」は爛熟描写といった描き込みよう。作風の変化にびっくりしました。

名前を覚えておこうと思ったのは、小野竹喬と上村松篁(松園の息子)。明るい色彩でほのぼのとさせてくれました。

京都画壇の画家たちはそれぞれ好きな道を黙々と行っている感じがいいですね。東京画壇は巨匠 横山大観先生の影響力が大きそうだけど、どうなのかしら。見比べるのが楽しみです。


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福田平八郎「牡丹」

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福田平八郎「筍」